アジア型食品リサイクル事業の可能性
 
長崎大学環境科学部 中村修
 
 
1 大木町の循環事業の概要
 大木町では家庭の生ゴミを分別してメタンガスプラントで発酵させる。その際でてくるメタンガスは燃料として利用し、発酵後の液状物質は液状肥料(液肥)としてそのまま水田で利用する。
 大木町の人口は1万4千人。一人年間80kgの生ゴミをだすとしても1120d。実際は半分程度として560d。これを籾殻などを混ぜて堆肥にすればおよそ200dの堆肥になる。1070fの農地を有する大木町であれば200dの堆肥の利用は数字上困難なことではない。
 しかし、生ゴミ堆肥を誰が利用するのか、という課題は大きい。堆肥も使ってもらわなければゴミでしかない。町内では畜産糞尿、きのこ工場からだされる滓によって、すでに堆肥が大量に供給されている。
 そこで、堆肥ではなく液肥を水田に利用することにした。液肥を水田まで運び、水口から流し込むことで散布の手間が省ける。有機液肥の利用である。
 福岡県椎田町では人間の屎尿液肥を水田で利用しているが、イネの生育も順調で、なおかつ農家負担がほとんどないため、農家に歓迎されている。佐賀県武雄市では畜尿を液肥としてリンを添加して散布している。肥切れがいいので良質米になっている。
 生ゴミを加工した商品の対象を畑ではなく、水田とすることで、その「市場」は大きくなる。日本には各地に大量に水田が存在するからだ。しかも、水田には現在、堆肥はほとんど利用されていない。ここに安価で手間のかからない有機肥料(生ゴミ液肥)が使えるならば、その潜在的需要は大きい。
 大木町では生ゴミの投入を560d、メタン処理して水を添加してでてくる液肥が1700d。10eあたり5dの液肥を利用したとして、34fの水田が必要になる。大木町の水田は600fもあるので、単純に考えても30万人の生ゴミを処理できる。
 さらに、大木町では(大木町だけではないが)学校給食で地元の農産物がほとんど使われていない。
 そこで、中核的な農家に生ゴミ液肥を利用してもらい、その米を優先的に給食で購入することで、液肥利用の動機付けとすることも可能である。子どもたちが生ゴミ液肥の米を食べることになれば、町民の生ゴミ分別の意識付けにもなる。また、一般の農家は、機械化されていない肥料散布を液肥で自動的にやってもらうのでメリットになる。
 生ゴミが分別されて燃えるゴミが減少すれば、町の負担は減少する。現在、燃えるゴミの40%が生ゴミだからだ。
 大木町では生ゴミを分別した人に地域通貨を配布することも検討している。地域通貨を配布することで、さらに生ゴミ分別の意欲を高めるだけでなく、生ゴミ液肥で栽培された農産物の地域内流通を促進することが可能になる。
 
2 リサイクルを巡って
 エントロピー学会は、いちはやく環境問題に取り組み、循環の必要性を論じてきた。それゆえ、一方で、古紙回収運動はリサイクルではない、と槌田は論証してきた。(参考文献@、A)
 経済社会の中では物質循環は商業が担っている。商業とは需要と供給の関係で成り立っている。
 例えば、リサイクルペーパーがどれくらい売れるかで、再生紙の製造工場は動いているし、古紙の取引量、価格が決定される。にもかかわらず、環境保護運動はそうした需要と供給の関係を無視したところでボランティアで古紙を回収した。その結果、古紙は市場にだぶつき価格は下落する。回収を仕事として行っていた業者は経営破綻していく。
 環境保護運動が良かれと思ってやった行動が、結果的に需要と供給で安定的に循環していた古紙のリサイクルを破壊していく。
 これが槌田の批判であった。
 もし、古紙の回収率を高めたいのであれば、古紙を回収するのではなく、再生紙の需要を高めることに力を注ぐべきであった。再生紙の需要が高まれば、当然、古紙の価格は上昇し、自然に古紙の回収率はあがったはずである。
 需要がなければ古紙はゴミでしかない。一方、再生紙の利用が見込めれば古紙が商品として回収され販売され再利用されていく。
 これをリサイクルと言うのであれば、環境保護運動は、古紙を無償で回収することではなく、再生紙の利用、つまり古紙の商品としての需要を高めることを課題として取り組むべきであった。
 
 まったく同じことを食品リサイクルにおいても論じなければならない。
 
3 堆肥は商品ではない!
 古紙と違って生ゴミが商品として流通していくことは困難である。ホテルや食品工場の生ゴミのように一定の品質のものであれば、畜産の飼料、そのほか加工品の原料として再利用することは可能である。しかし、家庭やレストラン等のほとんどの生ゴミはそうではない。
 家庭の生ゴミは自治体の責任(つまり費用負担)で回収し、最終処理する。生ゴミは燃えるゴミのおよそ40%をしめる。瓶、缶、ペットボトルなどの分別がすすめば生ゴミの割合は50%をこえていく。それゆえ、生ゴミを分別できれば燃えるゴミは大きく減少する。
 いくつかの自治体では家電の生ゴミ処理機への補助などをおこなっている。これは生ゴミを電気の熱などを用いて発酵させ堆肥とするものである。
 名古屋市の場合だと一世帯当り、年間約180kg /世帯(約2.5人/戸)の生ゴミが分別回収されているが、これに発酵促進剤などを30〜40kg添加した上でできる堆肥はおよそ60kgとなる。問題はこれだけの堆肥を利用する場所がないことである。多くの一般家庭の場合は、家庭菜園、ベランダのプランターなどで利用されたあとの堆肥は、燃えるゴミとして焼却される。これは生ゴミを堆肥に減量する(その後の焼却処分)という「変換」事業であって、「循環」ではない。
 いま、日本各地で進められている食品リサイクル事業の大半は堆肥化である。
 堆肥が商品として売れ、農地で利用されるのであれば、堆肥化は循環事業といえる。しかし、残念ながら堆肥はすでに需給バランスがとれている。
 2000年の日本の水田面積は260万f(減反を含む)、畑は220万fである。
 農民が堆肥を使うとすれば堆肥の購入、散布に見合うだけの、果樹や施設園芸などその売り上げ、単価が高いものになる。そして、いま現在、そうした果樹や施設園芸をやっているところではすでになんらかの堆肥を利用している。
 一方、水田ではほとんど堆肥は利用されていない。それは、ほとんど赤字で水稲栽培が行われている現状では、手間のかかる堆肥を購入し、散布する労働を投下できないからである。
 つまり、日本の場合、水田でも畑でも堆肥は既存の製品(既存の堆肥や化学肥料)で十分である、ということだ。
 このように肥料の需給バランスがとれているところへ、生ゴミ堆肥を持ち込んでもそれは商品にはなりえない。つまり農家に使ってもらえない。
 生ゴミの堆肥化を実施している、あるいは計画している自治体が頭を抱えているのが、この点である。ここに堆肥化を目的とする食品リサイクル事業の限界がある。
 
4 バイオマスニッポンの失敗
 2002年に文部科学省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省が、バイオマス利活用推進に向けた全般的事項に関する戦略として「バイオマスニッポン」をたちあげた。
 「バイオマスは、賦存量は十分にありながら、収集が困難であること、効率の高い変換技術の開発が不十分であること等により、有効活用が十分に行われていない。家畜排せつ物については、年間発生量約9,100万トンのうち、約80%が利用れており、その大半はたい肥としての利用である。
 食品廃棄物については、年間排出量約2,000万トンのうち、約90%が焼却・埋立されており、利用は10%に満たないが、その大半はたい肥、飼料としての利用である。
 木質系廃材・未利用材については、製材工場等残材(約1,500万m3)はほぼ再生利用されているが、間伐材・被害木を含む林地残材(約1,000万m3)のほとんど、今後発生量の増加が見込まれる建設発生木材(約1,250万m3)の約6割は未利用である。利用については、原材料(製紙原料、家畜敷料等)利用(約6割)と直接燃焼利用(約4割)である。
 下水汚泥については、年間排出量約7,300万トンのうち、約42%が埋立されており、残り約58%は建設資材やたい肥として利用されている。
 農業集落排水汚泥については、年間排出量約62万トンのうち、約78%が焼却・埋立されており、利用の大半はたい肥としての利用である。」
(http://www.maff.go.jp/www/press/cont/20020730press_3.html)
 以上のような賦存量から、「製品利用に関する目標(2010年)」として堆肥の利用を年間 4000万トン <農林水産省の暫定目標>と掲げている。これは、堆肥を農地10eあたり5d利用するとしても80万fの農地が必要である。
 10eに5dもの堆肥を散布する労働は大変な作業となる。しかも、散布の仕方を間違えれば、過剰投入になってしまう。
 農水省は、これから補助金を投入してでも無理矢理、堆肥の利用をすすめるであろう。農家は作物を栽培しても収入にならないから、栽培目的ではなく、堆肥の投入で得る補助金を目的に栽培することになるかもしれない。捨て作りである。
 4000万トン <農林水産省の暫定目標>という数字は、無計画な堆肥の投入、捨て作りをまねき、結果的に農地、農村がゴミ捨て場にされることになる。
 環境運動がボランティアと称して古紙を回収し,回収業者をつぶしたのと同じことをバイオマスニッポンは繰り返すことになる。生ゴミが堆肥の形に変わっただけで農村にゴミとして捨てられるのである。
 古紙回収の失敗に学べば、補助金は堆肥の散布に使われるべきではなく、生ゴミ堆肥を利用した農産物の購入促進に使われるべきであろう。その購入先が学校給食であればさらによい。
 
5 商品としての液肥
 多くの畜産農家は、糞は堆肥に、尿は尿ダメを通して河川に流していた。あるいは、水田に肥料として散布していた。しかし、水田への尿の散布の目的はイネの栽培ではなく、尿を捨てることである。結果的に過剰の尿の投入となって、イネはまともに育たずに、捨て作りになっていた。
 そこで、佐賀県武雄市(杵島地区農業改良普及センター)では、尿を肥料として分析し、不足するリンを添加して適期に、適当な量だけ散布することで、十分な成果を得ている。
 農業現場にあわせた使い方をした有効な事例である。
 成分を分析され、求められる農地へ求められる方法で散布された液肥は、立派な商品となる。
 水稲の作付け面積約180万f。水田で堆肥を利用する農家はほとんどいない。その価格と散布の手間が、米価に見合わないからだ。しかし、液肥では喜んで利用してもらえる。椎田町の事例が物語っている。
 この場合の液肥とは、液肥の安価な提供と散布作業も込みである。
 堆肥の場合は、農家が自分で堆肥センターまで取りに行き、農地に散布するしかなかった。これは手間である。堆肥センターから農地の横まで運んでもらっても、その後、農家が散布する労働は大きい。
 バイオマスニッポンで示された、4000万dの堆肥を誰が利用するのか。誰が散布し、その農産物をどうするのか、という視点がまったく欠如している。目先で生ゴミが堆肥に変わればそれで循環と考えているところに現実を切り開く力がない。
 堆肥幻想を捨てて、水田への液肥投入という発想に切り替えれば、より農村の現状に適した計画になるはずだ。もちろん、最終製品(農産物)を優先的に購入するシステム作りも欠かせない。
 
6 アジアの技術としての大木町の循環事業
 日本ではかつて小型のバイオガスプラントを利用していた。しかし、プロパンガスの普及とともに駆逐されていく。現在、日本で稼働している大型のバイオガスプラントはほとんどがヨーロッパのメーカーのものだ。
 ヨーロッパでは畑作が中心である。プラントからでる液肥は作物が生育している期間のみ利用される。そうでない時期は地下水汚染につながるからだ。そこで、ほとんどの時期は液肥は汚水として水処理される。ヨーロッパのメーカーのコピーを販売している日本のプラントにも水処理装置が当然つけられている。京都府の八木町のプラントでも、まわりは水田だらけなのに液肥は汚水として処理されている。
 水処理装置は、初期投資の2割、ランニングコストの3割をしめる。しかも、水処理をすることで莫大なエネルギーを消費する。せっかくメタンガスをエネルギーとして生み出しても、これでは意味がない。
 液肥を汚水として処理するのではなく、液肥として利用することで、水処理の費用(およびエネルギー)を節約することができる。液肥を貯蔵する大きめのタンクさえ設置すれば、液肥は有効に水田で利用できる。
 人口密度が高く、水田を抱えている東南アジアの食品リサイクルの中核的な技術として「バイオガスプラント+液肥+水田」は有効であると考える。しかも、このプラントの構成は可動部分が少なく、また特許等で固められた技術を使わずにすむので、きわめて安価である。
 ODAの技術移転としてもアジアへの総合的な環境技術の移転としては有効で、現地でも喜ばれるメニューとナルであろう。
 さらに、大木町では地産地消の具体的戦略として学校給食への産直、地域通貨による経済循環も循環技術として示す。これもまた安価に応用が利くソフト技術なので、欧米のグローバル経済に文化の有り様まで浸食されているアジアのローカルな技術たり得ると考える。
 
7 環境NPO仕様のプラント
 大木町ではプラントを設置したからといって生ゴミが自動的に分別され、液肥が利用されて給食に地場の農産物が届くわけではない。ここには地域で循環を動かす仕組みが不可欠である。
 この仕組みを地域のNPOとして育成することを考えている。
 地域に生活する人がNPO組織として循環事業を事業として請け負って、生ゴミ分別の指導をし、液肥の利用を促進する。さらには、地産地消をすすめ、地域通貨の利用をうながす。地域農業・地域経済の再生事業である。これらの作業をNPO法人として地域や行政から請け負っていく。
 もちろん、すぐにそうした組織がうまれて活動できるわけではない。教育機関とマネジメント能力が不可欠である。
 そこで、NPO法人・地域循環研究所では「環境NPO仕様のバイオガスプラント」として安価なプラントとセットで、地域での環境NPOの育成、将来的な循環事業の担い手育成もふくめた事業の提案を検討しているところである。
 プラントだけが設置されるのではなく。循環で地域を豊かにする仕事、労働者も育成する、という事業の提案である。
 
参考文献
@槌田敦 新石油文明論(農文協 2002年)
A槌田敦 環境保護運動はどこが間違っているのか?(宝島社 1999年)
B小出繁夫 牛尿豚尿は、安くて限りなく魅力的な肥料『現代農業』2001年3月、農文協、pp.182-185.
C中村修・佐藤剛史 佐賀県杵島地域における家畜尿有効利用の取り組みと課題−環境コストから資源循環型農業へ− 長崎大学総合環境研究,第4巻第2号、2002年4月,pp.1-9.
 


目次へ戻る